2011年9月28日水曜日

今日の北大生レポート@おちゃっこ


こんにちは。北海道大学4年の清水浩平です。
僕たちは北大生最後のグループとして、先週の金曜日から活動しています。


今回、最初のイベントとして9/25(日)に「パン祭り」を実施しました。
これは前のグループが22日に行う予定だったのですが、台風のために中止となったものです。
北大生ノートにレシピが挟まっており、しっかりと引き継ぐことができました!

前日に試作をして、なんとかうまくいくようになって迎えた本番・・・・

オーブン使い過ぎてブレーカーが落ちたり。。。
前日と同じ工程で行ったのにうまく焼けなかったり。。。

そうやって試行錯誤しながらなんとか焼き上げ、手作りのブルーベリーと桃のジャムやバターにつけて食べました!!
だんだんうまく焼けるようになり、最後にはパン屋で買うほどのクオリティになりました。
利用者さんが非常に喜んでくださったのでよかったです。




月曜日からはいつも通り、ランチの提供をしています。
来週からボランティアの人数が少なくなってしまうということで、少人数でも対応可能なシステムの構築を目指していますが、これがなかなか難しいです。
今週はドリンクをセルフサービスにしたり、食券制にしてご自身で食事を取りに来ていただくような方法を試しています。

◎<提供済みのランチメニュー>◎
☆月曜日
 ・お豆たちのキーマカレー
 ・ナスのおひたし
 ・もやしとにらのナムル
 ・手作りジャムのヨーグルト
☆火曜日
 ・豚肉の生姜焼き
 ・ナスのおひたし
 ・おくらとブロッコリーのあえもの
 ・味噌汁
☆水曜日
 ・鮭のホイル焼き
 ・きんぴらごぼう
 ・ほうれん草のおひたし
 ・豚汁

残り2日、最後の北大生グループとしてしっかりと締めてきたいと思います!以上!!








2011年9月14日水曜日

石巻市北上町十三浜のおいしいワカメ


最近、スタッフの一人は石巻市北上町十三浜を何度も訪ねています。
スリランカで漁業支援を続けてきたことから、東日本大震災被災者支援として
パルシックは漁業支援をずっと検討していました。
そうして出会ったのが、北上町十三浜です。
今何に困っていて、何を必要としているのか?
浜を歩いたり、漁協や市役所を訪ね、さまざまな支援を検討しています。

石巻市に合併したばかりのこの町は、市街地から離れており、
市街からも、隣の南三陸町志津川中心部からもアクセスが悪く、
支援の手が遅れていたと聞きます。
私たちも、緊急救援として東松島から気仙沼までずっと物資配布に走っていましたが、
北上町は数度しか訪ねたことがありませんでした。

「十三浜はワカメがおいしいよね」石巻にいると、そんな声をききます。
十三浜の塩蔵ワカメは、しゃきしゃきした食感もおいしく、
評判の高いブランドわかめです。

おいしそうですね。海藻の詰め合わせ。


ワカメのほかコンブ、ホタテなどの養殖業を生業としていた十三浜の漁師さんたち。
多くの方が船も加工場も流されてしまいました。水産庁の支援などもありますが
それでも1/3は自己負担、すべてを元の通りに戻そうとすると、家や車、
日々の生活・・・さらに生業の資材が加わることになり、多大な資金が必要となります。
そんな中、ワカメは、10月末から種付けの時期を迎え、それを行うことができれば
2月末に収穫ができるので、数年の歳月が必要なホタテなどの養殖に比べ
いち早く収入を得ることができます。
生業のスタート、これからの生活再建になる第一歩を少しでも力になりたいと考え、
十三浜支援のひとつとして、このワカメ生産を支援したいと検討しています。

まずは、「猫の手は使えなくても赤子の手も使いたい!!!」という
ワカメの種付けボランティアを派遣しようと検討しています。
岸壁のそばで種付けをするロープにワカメの種を刺す作業をするボランティアです。
「ぜひ手伝いたい!」という方はぜひぜひ、パルシックまでお問い合わせください。
一緒に漁師さんたちのスタートを支えませんか?


浜に揚げられたワカメは浜でボイルされ、この機材でプレスして圧搾します。


これがワカメの種を刺すロープ。


種付けボランティアは、このロープをこのようにひねって、できた隙間にワカメの種を刺します。

種付けまであと1か月。今、あちこちでこのワカメのロープに浮を付ける作業が進められています。このロープとワカメの種の到着も急がれています。
ワカメの種を生産している岩手なども被災しており、「種の生産が間に合っていないらしい」
「遅れているらしい」といった不安の声を漁師さんたちから聞きます。
間に合いますようにと祈るばかりです。

2011年9月9日金曜日

地元の木材の利用


石巻市北上町十三浜で「NPO法人 水守の郷・七ヶ宿」の海藤さんに出会いました。
これまで十三浜を中心に支援活動を続けてきたそうです。
現在は、津波によって立ち枯れたり捜索のために伐採された木々を製材しているとのこと。
この木材を使ってわかめの加工場を作れないか?など相談。
でも、海の近くに作る加工場は、岸壁のかさ上げなどの工事がこれから予想され、
仮設の加工場テントを設置するほうが無難だろうということで、
水守さんの木材は使わないことに。。。

でもこうして赤くなったり倒れている木があちこちにあります。
これから、家の新築、村落の高台移転、復興住宅、おそらく海外から
安価な木材がたくさん輸入されてどんどん建築されていくのだと思います。
地元の木材を、できればこうした木材も使えないものでしょうか。


2011年9月6日火曜日

石巻市北上町での活動に向けて

8月23日より数日間、北海道大学の宮内先生をはじめとする
旧北上町にゆかりのある方々にお越しいただき、一緒に北上町を巡りました。

北上町小滝にある浜。たくさんの浮が打ちあがっていますが、
これでも漁業従事者による回収作業で1/3にまで減った姿です。

石巻市北上町は、2005年に石巻市に合併した町。
宮内先生たちは、長年、北上町を訪れ、集落を訪ね歩き、調査を行っていました。
そうしてたくさんの方とふれあい、親しんできた町が震災・津波の被害を受け
これまでお世話になった方々の安否や町の様子がどうなっているのか心配し、
訪ねてきてくれました。

これまで被災前の姿を自分なりに想像してきたのですが、
宮内先生たちに集落があった場所、ゆかりの方の家があったところなど
紹介してもらっていると、恥ずかしながら
「ここが集落だった!?」「ここにそんなにも家があったの!?」
という衝撃がありました。いまはもう、「草が生い茂る更地」からは想像できず
その姿を考えることもなかった場所もあり、大きなショックでした。

石巻市北上総合庁舎だった建物

この震災・津波で大きな被害を受けた北上町ですが、場所は石巻市の北東、
南三陸町志津川の南にあり、海に面し、かつ北上川の河口にある
漁場としても豊かなところです。
なかでも北上町十三浜はわかめが有名であり、石巻の方々からも口々に
「十三浜のわかめは美味しいのよ」「ブランドよ」などの声を聞くことがありました。

わかめは10月に種付けを行い、2月末より刈取りができるので
一早く収入が得られる貴重な手段です。養殖漁業者にとって、
震災・津波の被災から復興へと向かう大きな第一歩となる仕事です。
パルシックは十三浜のおいしいわかめの復活を支援できないかと
現在あちこち走り回っており、宮内先生たちのもそうした面で協力いただくべく
地域の方を紹介してもらいながら、北上について教えてもらいました。

北上川から豊かに流れ込む栄養が流れ込む養殖漁場でとれるわかめ。
昨年収穫のわかめをいただきました、しゃきっとした歯ごたえがある
おいしいわかめでした。
わかめ復活・漁業の復興をどういった形で支援できるのか、
また後日、経過をご報告します。

2011年9月4日日曜日

ボランティアレポート

8月の前半にボランティアに来てくださった、奥田さんによる
ボランティアレポートです。「山形屋」という石巻にある
醤油・味噌の工場でのボランティアについて書いてくれました。
(写真は後ほど追加します)



山形屋さん
(記録:奥田真希)
 
8月7日から10日の4日間、山形屋の工場と従業員用のアパートの復旧作業に行く。
山形屋は大正創業のお醤油・お味噌の製造工場。建物は木造とトタンの壁に瓦葺という年季の入ったもので、今回の津波の被害は最近の建物に比べて古い分大きい。
前方に旧北上川の流れを臨み、河口も近い。背後には小高い日吉山が位置する。津波は河口から逆流する水とともに川筋から溢れる形で工場とアパートを襲った。工場の人々はアパートの階段を駆け上がって難を逃れたという。

私たちが担当したのは大きく分けて、
①工場の片付け:瓦礫撤去、タンクの洗浄、床の泥かき
②アパートの片付け:壁紙はがし、下駄箱と押入れの泥落とし・拭き掃除、トイレ・浴槽の掃除
③住居の片付け:家財出し、襖の取り外し、畳の運び出し  ・・・・・等々。

現場に行くと、工場は柱や壁がやられて、奥の作業場は天井部分が断熱材とともに剥がれ落ち、木材と断熱材と泥が渾然一体。床は泥まみれで、後で泥を流してようやくコンクリートの地が見えたくらいだ。貯蔵用の身の丈より大きなタンクが幾つも横倒しになり、醤油の運搬用のタンク、味噌の小分けのプラ製の樽、大きな浴槽のような容器は味噌を寝かせたまま泥を被っていた。
タンクや樽は洗っても泥が落ちきらない。大きな貯蔵用のタンクは、最終日にヘルプしてくれた日系ブラジル人ボランティアたちのおかげで移動することができた。
難儀したのはアパートの壁紙剥がし。濡れ雑巾で壁紙を湿らせながらスクレイパーでこそぎ落すが、なんせ素人仕事なので捗らない。これが4部屋もあるかと思うと気が遠くなる。私は加えて各部屋のトイレ掃除。これは普通のトイレ掃除とはわけが違う。あのトイレのにおいではなく、泥のにおいなのだ。バケツに水を汲み、ぶっかけては便器を擦る。中には便器の中に洗剤やブラシがはまっているものも・・・・。実はトイレ掃除は苦手なのだが、この便器らを洗っていると数ヶ月間誰にも使われずに泥にまみれていたことが悲しく感じられた。
それから下駄箱とその中にあった靴や雑貨、押し入れも泥まみれ。押入れの泥はブラシではたき雑巾がけをするが砂粒はなくならない。再び布団をしまえるのだろうか。

作業の指示は工場の若社長(若旦那さんと私たちは呼んでいた)にお願いしたが、こちらも勝手がわからない分、作業の細々した部分を質問すると、あちらも戸惑っている。そりゃそうだ若旦那さんだって住居や工場の片付けや泥の処理に対しては初めての体験なのだ。こういうときに建築のアドバイザーや泥処理に知識のある人が片付けのコーディネートをしてくれたらと思う。
しかし、工場のおかみさんの笑顔や若旦那さんの気遣いや差し入れで何とか乗り切れた4日間だった。まだまだ復帰には時間がかかるが、ボランティア一人一人の作業の積み重ねで成しえ、ものづくりの現場として再開していただきたい。お互いに顔は見えないが、一つの目標に向かって励み繋がっていくことに素晴らしいものを想う。